昭和の終わり頃
バブルで猛烈だったあの時期
プラスティックの再生加工業を行っていた父親が
信用金庫に
賃貸ビルを建てませんか?と奨められ
当時の景気の良さも手伝って
建てれば誰でも儲かる!とのムードの中
信用金庫からの資金調達が極めて容易にできたため
思い切って工場を閉め
賃貸経営一本に切り替えました。
なにせ当時は銀行にお金を預けていたら
4%程度の利回りが期待できました。
郵貯あたりは10%の頃もあったわけで今思うと考えられないような時代です。
一億円あったら銀行に預けてそれで暮らそう
なんて発想があったのもその頃までです。
賃貸経営といっても
何も知らない工場のオヤジが
億の資金をすべて借入して
しかも6%程度の金利で借りてです。
不労収入と当時でもいわれていた不動産賃貸業(=大家業)ですから
誰も負けるなんて思っていなかったのです。
簡単に賃貸経営を何も知らない大家さんが生まれたのです。
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